(一宮市大字春明に伝わる
昔、一宮の春明村と時の島村の村境に、丸木橋がかかっておった。 その橋へ 、毎日、牛を洗いに来る10になったばかりの娘がおった。 娘の名前はさよ、 牛の名前はくろといった。 さよが12になった時、岐阜の町へ奉公に行くことになったそうな。 「くろ、お別れに3年分洗ったげるから、さよがつらくなって助けてって呼んだら 来てね。」 くろはさよが行くという町の方を望んでから大きくうなずいた。 さよはとびっきりいじわるな奥様にもよく仕えてな、1年が過ぎ、2年が過ぎて、 家へ帰る日だけを、指折り数えておった。 そんなある日、さよは風邪をこじらせた体でな、背中に薪をいっぱい背負って、 雨の山道をとぼとぼと歩いておった。 「どうしよう、薪が濡れてはまたしかられる。ああ、寒い。くろ助けて。」 さよは倒れながら叫んだ。しばらくして、さよはなま温かいものを感じたと。 くろがさよの顔をなめておったそうな。 「くろ、やっぱり来てくれたのね。」 くろは黙ってさよと薪を屋敷まで運び、雨の中へ消えて行ったと。 そして、年季が明けて、さよはくろに会いたい一心で、転がるようにして帰って 来た。 じゃがくろは、さよが奉公にでると、すぐに死んでしまっておったそうな。 「くろ!くろ、出ておいで。いつものように洗ったげる。」 さよは丸木橋の上で、いつもそう呼び続けておった。それから村人たちは、 その橋を牛洗い橋と呼ぶようになったそうな。 |