稲 沢 の お 祭 り
国府宮はだか祭  
旧正月13日、稲沢市の国府宮神社において「国府宮のはだか祭」が行われました。 約1200年の歴史を持ちます。 今から1240年前から開始さ
れた歴史がありますが、今のように形は江戸時代末期からとされます。
 尾張部一帯の各地から厄除けを祈願した、彩豊かな手拭を「なおい笹」と呼ばれる竹に飾り、裸男が神社に奉納する前段と、奉納後に裸男の集
団が「神男
(しんおとこ)」に触り、厄を落とそうともみ合う「儺追神事(なおい)」が行われる。
ここに紹介する写真は、平成16年2月3日(木))と平成20年2月7日(土)の様子です。
儺追布(なおいぎれ)作成過程
朝8時から作業を開始します。 上部に奉納、中央に尾張大国霊
神社、右側に奉納希望者からの願い事である家内安全、交通
安全、学業成就など、左側に奉納者の干支、男女(おとこ、また
は、おんな)と書いて完成です。
儺追布は上部を竹で通し、タコ糸で儺追笹(なおいざさ)に付けられ
ます。 午後1時頃に出発します。



国府宮神社楼門前の一風景
はだかの集団が続々と神社に向かいます
大鏡餅(平成16年2月3日撮影)
神社周辺の町から奉納されます
 平成21年2月撮影 大きな画像へ
   
 午後4時30分、笹奉納が終わり、厄を引き受ける神(しん)男が登
場します。 この神男に触ると、より厄祓いの効果があると信じら
れ、裸男が殺到します。 人々の顔が中央を向いており、神男が
います。 (平成21年2月撮影) 
  神男(しんおとこ)に触れる最後のクライマックスです。
中央の建物に引き上げれ、祭りは終わります。



祖父江の虫送り・・・愛知県指定無形民俗文化財 
私は、昨年夏、この「虫送り」を見学に行き、中止になった
ことを現地で知り、残念に思っていました。 ところが、イン
ターネットで見ていたら、今年は実施されると書かれており、
稲沢市役所祖父江庁舎で確認すると、親切に教えていただ
きました。 さらに、当日の中日新聞尾張版にも掲載されま
した。 少雨ながら、デジカメを抱え、難儀しながらの約30分
の見学です。 
(11.07撮影)
虫送りは、源平の合戦のおり、稲沢市(旧祖父江町)島本
新田地区で、平家方の斉藤別当実盛
(さいとうべっとうさねもり)
馬が稲の切り株でつまずいたところを敵に討ち取られ、稲を
荒らす害虫になったと伝えられている。 その害虫を追い払い、
実盛を鎮めるため、実盛のわら人形を掲げて松明などの行
列とともに練り歩き、最後に人形を燃やして豊作を祈願する。
(11.07撮影)
わら人形、馬、松明は、稲沢市立牧川小学校の講堂で作られた 夕刻7時30分ころの出発です。(11.07撮影)
行列は、学校の東にある田園地帯に向かい、途中で松明に
火がつけられ、田に向かい松明を振りかざし、害虫退散、
豊作祈願を行う。
(11.07撮影)
最後に、牧川小学校東の空き地に用意された虫送り昇天会
場に行き、人形を燃やして豊作を祈願する。

(11.07撮影)


こがし祭り

稲沢市北市場の立部神社で、五穀豊穣を祈願する「こがし
祭り」が例年7月の第三土曜日に開かれる。 今年は、7月
22日でしたが、昨年に引き続き見学しました。
この祭りの由来には諸説あるらしいが、市役所の資料では、
江戸時代寛文年間に飢餓がおき、村名主の夢枕に須佐乃
男命
(すさのおのみこと)が現れ、「少しの麦でもよいので奉納して
くれ」というお告げどおりにし、飢餓が収まったため、神様に
感謝する祭りが始めと言われている。 このとき奉納した団
子の名を「こがし」と言ったことから、祭りの名称に因むという。
祭りの夕刻、市指定文化財の山車2台が倉庫から引き
出され、提灯や紙の花を飾ったドングリの枝が飾られる







暗くなる午後7時30分頃、提灯に火が灯される。山車の
中心には12個の提灯を付けた柱が立っている
紅白の花が付けられた山車
祭りの最後は、山車から花が投げられ、奪い合う 花は家に飾ると家内安全になるとされる。 一年後、神社に
帰され、祭り当日、燃やされていた