懐かしの風景

サンファイン(旧林紡績)本社工場の状況<平成21年2月15日現在>
     
 平成21年2月の写真です。 下の写真と位置です。
4階建ての寮があった場所にマンションが建設され
ました。

  ほほえみはしから木造の寮があった場所を撮影したものです。 位置は一枚下の写真と同じ場所です。こちらは、分譲住宅が販売中でした。なお、ほほえみはしの銘版は未だ無事でした。
寮の前にある桜が咲いています。平成18年4月の写真です この橋は、今も健在でした。(06,04,08)
関係会社に橋の行く末をお聞きしたところ、8月現在は未定でした。方向が定まれば、出来る限りメールにて教えていただくことをYさんにお願いしました。
平成17年9月の写真です

サンファイン(旧林紡績)江南工場の状況
     1月4日、このホームページの「思い出の街角」にメールがあった九州のKATUKOさんのご希望の旧林紡績江南工場の写真を撮影してきました。
噂では、江南工場は既に取り壊されていると聞いており、現地調査の前に愛知江南短期大学(旧林学園)事務局に勤務する知人にアドバイスをお願いしました。
会社が倒産し、かなりの年月の経過と短大の経営が学校法人として独立していることもあり、当時の状況を確認することはできませんでした。 しかし短大のS先生から「林紡績25年の歩み」<人こそすべて>をお借りすることができ、当時の航空写真を掲載することができました。 一宮市内の図書館で調べても入手することが出来ませんでした。 貴重な写真と思われます。 本当にお世話になりました。 ありがとうございます。
 上:21年2月現在。下二枚目の旧正門は無くなっていました。
下:昔からある松が北側に移植されていました万代塀は撤去
されていました。
   下:江南短期大学からみた病院。短期大学側には、万代塀が残されていました。 緑は、ワイン用の葡萄です。 最近、このワインがよく新聞に掲載されます。
     
下:旧工場の正門跡? 上:8階建ての「江南新病院」(厚生連・農協系列)
下:北から見た旧工場跡地。 万代塀は当時のものと思わ
  れる。
上:北西から見た旧工場跡地。万代塀が撤去され、新しい
  道路が建設されています。
旧本社工場の全景。右上から下に伸びるのは日光川、左右の
線は起街道です。 寮は日光川が角度を変えた左の場所と
思います。
扶桑工場の全景です。



ニッケ(日本毛織)一宮工場の部
ニッケ一宮工場の寮跡にある桜です。
平成18年4月の写真です
北門の前景です。こちらも桜が満開です。
ニッケ一宮工場正門
(平成15年6月1日、日曜日撮影)
ニッケ一宮工場の遠景(県道跨線橋から撮影) 背景の羊の
絵は、平成13年6月に登場した「ジャンボな羊」として登場しました。
元社宅跡に建設されたショッピングセンター ショッピングセンター屋上から工場を撮影
  


クラボウ木曽川工場の部
旧本館
(平成14年8月撮影、他の写真は平成15年撮影)
本館横の庭園に遊ぶ羊たち
クラボウ木曽川工場
平成14年8月に山内一豊祭りを撮影に行った際の画像
です。 ここも閉鎖されました.。
クラボウ木曽川工場全景写真
元社員さんからお借りしました。


 一宮の風景
     
 尾張一宮駅
正面の低層の建物が尾張一宮駅です。 戦後に建設され、現在は建て替え計画のため、取り壊されています。後方の青いガラス窓は2年程前に開店した名鉄百貨店一宮店です。 昭和40年代に開店した名鉄丸栄百貨店は2年前
に閉店しました。
  織姫の像
以前は左のロータリー中心、その後、尾張一宮駅南に移転させられ、2015年12月に一宮市役所立体駐車場の南側、多目的広場
<夢織り広場>に移設されました。

 
     
本町商店街
本町4丁目「グランドタマコシ」横からみた本町商店街。 
数年前に改修され、きれいになりました。 バスは、市内を
循環するI(アイ)バスです。 

   「ゑびす屋」さんの作業風景
今も根強いファンがおります。 撮影した日も津島市からお客さん
が来店し、天ぷら大判焼きを30個買っていきました。

     
 一宮名物大判焼きの「ゑびす屋」さん
以前は真清田神社西側で営業していましたが、借地のため
大江川東側に移転しました。

   ソニーイーエムシーエス活鼡{テック
1970年5月、ソニー活鼡{工場として設立されましたが、2001年
4月、会社の統廃合として現社名となりました。 カラーテレビから
デジカメなどを生産するとともに、海外映像機器関連のマザー工場
の機能も付与されています。 
(廃止されました)


北の都のぴーなっつ」さん& 高知のTAMAさん からの贈り物へ