海部のお祭
愛知県津島市に平成20、21年度に勤務し、一宮在住の者の宿命として、近いため見学する機会が少ない海部地区の祭りを見学することが
できた。 地域の人々との交流もありました。 西三河地区のお祭りのページに引き続き、海部地区のお祭りのページを作成しました。
関係機関で情報発信していますが、お礼の気持ちと貴重な写真を活用したく、主なお祭をご紹介します。




 
尾張津島天王祭(おわりつしまてんのうまつり)・・・重要無形民俗文化財
尾張津島天王祭は、500年以上の伝統を誇り、織田信長も見学した祭りです。 宵祭(よいまつり)と朝祭(あさまつり)で構成され、7月の第四土曜日
・日曜日に行われます。 祭の起源としては、南北朝時代に津島に逃れて来た良王親王(後醍醐天皇の曽孫)を守る津島武士が、北朝方の武士
を船遊びに誘い討ち取ったことに由る行事とか、津島神社の「神葭流し」の神事をもとにしたものとか言われているが、明らかではありません。
なお、津島神社は、全国に三〇〇〇社有余ある津島社・天王社の総本社であります。

鬼祭の構成
    ○稚児打廻し  金曜日午後8時
       天王祭の主役を演ずる稚児が、宵祭の前夜、肩に載せられ津島神社に赴き拝殿前を3回打廻って参拝し、帰途につきます。
宵祭  7月第四土曜日

    
○神輿渡御(みこしとぎょう)・・・午前10時
      宵祭・朝祭の船を御神覧のため神輿が天王公園の御旅所に移動します。
    ○如意点火(提灯点火)・・・午後7時
     まきわら船の真柱に点灯された12個の提灯があげられ、次いで各部分の提灯がつけられます。 一年の日数である365個とされます。
    ○出舟・・・午後8時45分
     旧津島5ヶ村から五艘のまきわら船が車河戸を出て、御旅所に向かいます。
朝祭  7月第四日曜日午前8時45分〜
    ○飾り付けを一変した五艘の祭船に、市江車が加わり6艘の車楽船(だんじりぶね)が御旅所に向かいます。
     御旅所の前で市江車から10人の鉾持が布鉾を持って水中に飛び込み、御旅所へ泳ぎ神輿に拝礼し津島神社まで走り拝殿前に布鉾を
     奉納します。 引き続き、6艘の車楽船が接岸稚児が上陸し環御祭が行われ、神輿が津島神社本殿に環御される。 拝殿で稚児の神前
     奉楽を奉納し盃事が行われた後、各船帰途につき朝祭が終わる。                  ・・・尾張津島天王祭チラシより
稚児打廻し
稚児は5〜6歳の男子が選ばれ、優美華麗な衣裳を着、頭には
花鳥帽子
(はなえばし)、手に丸撥(こうはし、丸い撥)を待ち、肩に載
せられます

神輿渡御(みこしとぎょう)
宵祭・朝祭の船を御神覧のため神輿が天王公園の御旅所に移
動します
御旅所に向かう五艘のまきわら船
真柱には12月を表す12個の提灯、周囲には1年の365個の
提灯が灯されます。
朝祭
6艘の車楽船が御旅所に向かいます。



布鉾奉納
市江車から10人の鉾持が布鉾を持って水中に飛び込み、御
旅所へ泳ぎ神輿に拝礼し津島神社まで走ります。 拝殿前に布
鉾を奉納します。 布鉾の滴を患部につけると病気やケガが治る
という言い伝えがあります





須成祭・・・県無形民俗文化財指定
8月の第一土曜日と翌日の日曜日に、約500年の伝統と歴史をもつ須成祭は、土曜日の夜に宵祭、一夜明けた日曜日の朝には朝祭が
行われます

須成祭は、冨吉建速神社と八剣社のお祭りです。 病気退散を
祈願する天王信仰を基盤とした祭です。 穢れを葭に託して流す
「御葭神事」と車楽船の出る「川祭」で構成され、別名百日祭と呼
称されるように準備に時間をかけています。
  稚児打廻しが宵祭の午後に行われます 
朝祭の船を飾る梅花・桜花です。 この花は、神社傍の御葭橋に
到着後、見物人に配ら、厄除けとして重宝されます

  宵祭の主役の車楽船です。中心に12個の提灯をつけた真柱が
あり、この祭のために作られた跳橋が上げられる





香の物(こうのもの)祭(萱津(かやづ)神社)       ・・・甚目寺町指定無形文化財
萱津神社は、日本で唯一の漬物の祖神を祀る珍しい神社です。 毎年8月21日に、例祭「香の物祭」が挙行されます。 萱津神社の祭神は、
鹿屋野比売
(かやぬひめ)で、農業の神様です。 五穀豊穣を願う農民は、穫れた農産物の初成りは、先ずこの神社に御供えしていたが、腐敗す
るのを惜しんで、かたわらの藪の中に甕
(かめ)を置き、この中に入れることにした。 当時は、阿波手が浦という入り江で、塩も採れていたので、
これを入れた処、何時の間にか結構な塩漬物が出来上がった。 これが我が国の漬物の始めであり、漬物の神様といわれる理由である。
この漬物は諸病に効き目があり、また病気を防ぎ、長生きする利益があるというので、大変喜ばれていた。
大和武尊が東征の折、この萱津にて休憩の時、この塩漬物を奉ったところ、大変喜ばれ、「藪に神の物」と申され、粗末に扱わず、大切にせよと
言われたのが「藪二香物」の始めであり、後に尊が熱田神宮の祭神と成られたので、この漬物を熱田神宮に献上することになった。   
     _・・・・・・・出典「甚目寺町歴史民俗資料館62/8月号 Volー9」
場所:あま市上萱津
日時:例年8月21日午後2時頃〜

鎌倉街道遺構である五条川堤防に面した萱津神社
   拝殿・本殿の奥にある「香物殿」

「香物殿」に用意された4個の漬物甕(かめ)。 神事の後、この
甕に野菜と塩を入れ漬けこみます
「香の物神事」後の風景。女性は「香の物媛」と呼ばれている
ようです





勝幡(しょばた)おこわ祭り・・・国指定無形民俗文化財 
     
勝幡神社の参道。 名鉄津島線勝幡駅から徒歩約10分の
場所にあります

  「おこわ祭り」神事は、3月の第二日曜日に挙行されています。
午前10時頃に「オコワ」を作る宿宅から神社に「オコワ」が奉納
されます。
 
     
午前10時30分頃から境内の石にオコワを入れたコモ樽が
石に打ちつけられます

 
  岩に打ちつけられることにより、オコワが餅状態になっています。
境内の説明書きによると、この餅は、無病息災、木片は雷除け
事になると書かれています





二十五菩薩来迎会(らいごうえ) 
     
午後1時から阿波踊り奉納、午後2時から二十五菩薩おねり供養
(来迎会)というスケジュールです
  会場の連華寺(れんげじ)山門です。 蜂須賀町は、初代阿波藩主
蜂須賀子六の出身地とされ、代々の阿波藩主の帰依を受けたという
     
来迎会とは、菩薩さまが現世に現れ、民衆を極楽浄土にお導きに
なられる様子を再現する意味をいう
。 慶長13年(1608)に伝わり、
以来、弘法太子御開帳の記念法会として毎年4月第三日曜日に行
われる
  来正面奥の太子堂を極楽浄土に見立て、そこから紫雲を現す来迎橋
を菩薩様が渡られる。 菩薩様達は、参拝者を撫でさすり危難を御祓い
になる
 
     
阿波藩主ゆかりから名古屋太閤連の阿波踊りが奉納・披露されて
いる。
  伝統的な阿波踊りが中心であるが、見学日には凧揚げのパント
マイム風踊りの披露もあった