妙 興 報 恩 禅 寺 その
 春の妙興寺西入り口
(平成13年4月撮影)
   鐘楼付近から西入り口を望む。 京都の寺院を連想させる緑
豊かな境内の代表的な風景。
     
 本殿入り口。ここから先は雲水さんの修行する場所でもあります    ここが禅寺である妙興寺の玄関です。 中心の鬼瓦は佛殿に使
用されていたもので、この度の修理により役目を終えて、新しい
場所を見つけました
     
 石庭「尼連禅河(にれんぜんが)」
お釈迦様が悟りを開くまでの修行の過程に出てくるインドのガーヤー
町を流れる尼連禅河という川をイメージして約50年前に作庭されま
した。 左手の苔の中に像が2頭見えます。 像の右手に釈迦三尊
が据えられ、お釈迦様を中心に文殊菩薩と普賢菩薩を現わしています。
左には虎が吠えて煩悩を追いやる「一渇」を吐いているイメージの石、
右手には釈迦三尊を拝むための礼拝石が置いてあります。
   紙本著色足利義教像(国指定重要文化財)
妙興寺は、五山制度に準ずる諸山の称号を受けるなど室町幕府
歴代将軍の尊敬を受けてきた。 この画像は6代将軍義教が永亨
4年(1432年)富士遊覧の途中、妙興寺に立ち寄った記念と、義教
の子8代将軍義政に所領安堵を受けたことを感謝して供養のため
描かれたものと伝えられています。
その他に多くの文化財が残されています
     
 紙本著色豊太閤(ほうたいこう)画像(愛知県指定文化財)
戦国時代に妙興寺は寺領を失い衰退していくが、秀吉の支援を
受け京から南化玄興
(なんかげんこう)を住持になってから仏殿を
修理するなど復興した。
このため南化玄興を中興開山と呼ばれています。
豊太閤画像(狩野山楽作)は、寺を応援した豊臣秀吉を追慕して
慶長5年(1600年)に描かれ、上部に南化玄興の賛が書かれて
います。
   上和泉伊勢守信綱修道跡の碑
剣禅一如の剣聖と仰がれ、柳生宗巌に新陰流を伝授したと
される上和泉伊勢守が修行滞在したことを記念する石碑。
明確な記録はないが、寺に言い伝えとしてあり、昭和50年頃
建立されたものです。 尾張柳生家からの寄贈の掛け軸もあり、
ロマンを感じさせます

作家池波正太郎は、小説「剣の天地」の中で上和泉伊勢守が
妙興寺を舞台に素手で乱心者を取り押さえたエピソードを採用
しております。
このシーンは黒沢明監督「7人の侍」の中でも似た場面があります。