概要
平成26年3月に冊子「鎌倉街道・不破の関から熱田の宮まで」を自費出版するに際して、ホームページの該当箇所を本の
内容に整合させ、東進する形態に書き換えた。このホームページで、愛知県の東の入り口となる新所原駅(静岡県湖西市)
から熱田の宮(名古屋市熱田区)までは、何時か直そうとしてきたが、冊子を購入していただくための諸手続きや、講演会の
講師を依頼されるなど、当面の用務に追われて後回しにしてきた。
平成27年10月になり、昨年12月に購入していただいた瑞穂区のKさんとお会いし瑞穂区をご案内いただいた上に、ご愛用
の豊橋までの地理図をいただき、鎌倉街道を東進し再調査する気持ちを強くすることができた。
当日を含め三回に亘り、松巨島(まつこしま)周辺を歩き回り、年魚地潟と鎌倉街道を探し求めた。そして、最後の段にご紹介
する故片山鍾一さんと南区の加納 誠さんからいただいた冊子が現地を精査された内容であることを知り、感謝と尊敬の気持
ちを持ちました。ありがとうございます。
その他地元の地誌等でも書かれているが、年魚地潟周辺の鎌倉街道は、天白川・山崎川による土砂沖積及び干潟の陸地化
、そして干拓等で地理が変化し、幾つもの経路が伝えられている。松巨島を中心にした下段の地図の鎌倉街道は、代表的な
ルートを図示したものであり、これ以外に伝承があることをご報告します。また古代の道については、画像等の情報がないことを
ご承知ください。
 

 昭和区内の鎌倉街道
 
     
瑞穂台地西岸の渡し場跡付近
村雲町から見た白金商店街。船着場があったと推測される
高橋病院傍から山王稲荷(約2キロ先)方面を望む

  瑞穂台地から年魚地潟跡を望む
浄元寺前から西方の古代年魚地潟後の精進川跡を望む。
台地の西方に位置する関係で西勾配となっている。

     
延命地蔵と亀口の泉
浄元寺西側にある。御器所三泉のひとつで、精水の湧き出る
水口が亀にいていたことから「亀口の泉」と呼ばれていた
 
右に延命地蔵が祀られている地蔵堂がある。
  清澤山 浄元寺(せいたくさん じょうげんじ)
曹洞宗、龍福寺の末寺。永禄年間(1558〜1569)の正躰浄元
を開祖とする。

04年5月訪問時の住職は、茶道賣茶(ばいさ)流の家元でも
ある。御庫裏様には、親切に鎌倉街道についてアドバイスを
いただきました
 
     
御器所(ごきそ)八幡社
草創は嘉吉(かきつ)元年(1441)で御器所城主佐久間美作
上による創建とされる。御器所とは、熱田神宮に奉納した
土器を作ったいたことに因む。ここでも宮司親子から街道に
ついてお教えいただくが、一世代以前は話題になったが、現
在は余り知識が無いとのことでした

社伝によると仁明天皇(平安時代)勅願社と伝わり、熱田神宮
の鬼門除けの神として創建された。熱田から眺め、叢原の彼
方に、うっそうたる樹木に覆われる美しい丘陵地帯を、畏敬
の念をもって「叢雲」の里と云ったという
  尾陽(びよう)神社
尾張藩祖義直と14代慶勝を祀る社で、大正11年(1922)6月
、名古屋開府300年を記念して創建された。
この地は、嘉吉年間(1441〜44)の頃、佐久間家勝が築城した
「御器所西城」の跡であるといわれる
     
御所屋敷跡
左奥に小さな社があります。社の前に名古屋市教育委員会
が設置した案内板があり、天保年間(1830〜44)の藩選「尾張
志」に御器所古老伝説として、秀吉の母出生地とあることから
御所屋敷跡といわれるようになったと紹介している
  西福寺
浄元寺と円上中学校の中間に位置する。右が第一村雲幼稚
園で子供たちの元気な姿が見える。
この道路の東に寿栄寺があり、中間の道路に名古屋市設置
の史跡巡りの案内板がある。
     
普照庵 龍福寺(ふしょうあん りゅうふくじ)
高野山真言宗、地蔵寺とも呼ばれる。御器所最古の寺院で
天文年間(1533〜1555)佐久間大学の創建とされる。
   箸蔵寺名古屋別院
大正5年、徳島県の箸蔵山金比羅大権現の名古屋別院と
して設立された。水と船の神様である四国金比羅山の奥の
院にある箸蔵寺の分院である
 瑞穂区内の鎌倉街道
 




     
鎌倉街道の東、雁道商店街の一角に位置する真宗大谷派の
寺院である

  雁道商店街から西方「熱田神宮」方面を望む。古来、ここ
からも船で移動したとのこと。因みに、南の地名は船原町と
いう
 
     
大悲堂
通称「蛇塚(じゃつか)」。清掃していた人に謂れを聞くが、
庵主様にも詳しくは不明との説明でした。
都会の中であるが、何か不思議な雰囲気を感じます
  直来(なおらい)
高田小学校北側に位置する。嘉永2年(1181)、木曽義仲
は義経との争いに敗れ、敗走の途中、同行の桂姫ができ
ものに苦しみながらこのあたりで亡くなった
ことから後で、「できものの神様」として祀られました

     
田光(たこう)八幡社(瑞穂区大喜新町)
延暦元年(平安朝前期今より1220年前)熱田神宮大内人守
部彦正(大喜氏)が八幡社を勧請し社を建てたのが始まりと
傳えられる。延久年間(1069年-1074年)、守部第十九代彦正
が八幡社を勧請した。別宮白龍社の御神体となっている楠は
弘法大師お手植えの由緒をもつ樹齢千有余年の巨木で、根
には白蛇が住んでいると伝えられる。同じく境内にあるやや
小ぶりの楠は「黒龍様」と呼ばれ、体の痛い部分を枝にあて
祈ると治ると伝わる。そして、二本の木が一体化した「和合の
木」は、夫婦円満、子授けに霊験あらたかという。
  増益山大喜寺
真言宗の寺院でご本尊は大日如来で、弘法大師が勧請した
五仏の一体で、古来、熱田神宮の本地仏(ほんじぶつ)と言わ
れた秘仏である。
境内の地蔵堂に安置されている地蔵菩薩像は、付近の鎌倉
街道沿いにあったもので、「尾張名所図会」にも書かれている
。鎌倉時代の作くといわれる。
…名古屋市設置の説明版より引用
     
白龍社
戦前は、当地区は蛸ヶ池(田光ヶ池)という灌漑用池であった
。都市化によって埋め立てられる際、住民の伝説となっている
池の主・白龍大王と呼ばれる「おろち」(大蛇)の霊を鎮めるた
めに当社を祀った。
・・・井戸田学区連絡協議会設置案内版
  津賀田神社
仁徳天皇を祭神に天照大神を配祀する。若宮八幡あるいは
井戸田八幡とも称され、古墳の上に建てられたと伝えられる
このあたりは松原が長く続き長森とも呼ばれ、「本国神名帳」
には従三位津賀田天神と呼称されたとある。
     
鎌倉街道跡
姫塚直ぐ西の古道跡。狭い、坂道、曲がっている。
  姫宮
鍵田町集会所玄関前に安置されている 
     
姫塚
写真は長福寺北側の鎌倉街道跡の鍵手の一角に位置する
姫塚です。この塚は、師長を慕った娘の墓とも伝えられていて
、かっては姫宮が祀られていたが、今は下記場所にある
  剣塚(つるぎ)
知多郡の武士糟谷藤太信重の墓と伝えられ、この前の古道を
馬に乗ったまま通る者は必ず落馬したという
 
     
 龍泉寺(りゅうせんじ)
行基の開山と伝えられる曹洞宗、熱田円通寺の末寺である
  亀井水
龍泉寺表門脇の亀井水(かめいすい)は、熱田で誕生した
源頼朝の産湯に使われたといわれている
 
師長小橋
山崎川に架かる。遠方に名鉄電車が見える。
鴨川稲荷
平清盛に流された太政大臣藤原師長謫居跡(ふじわらもろ
ながたっきょあと)師長は琵琶の名手で地元井戸田村の
村長の娘との悲恋物語もあるとか
参考資料
   ・本井戸田村・山崎村ウォーキング<平成16年5月8日発行 編集・発行 加納 誠>
   ・松巨島(まつこじま)<平成14年8月発行 片山鐘一>
   ・瑞穂区史跡散策路<名古屋市教育委員会 名古屋瑞穂区役所>
   ・THE SHOWA vol2〜歩いてみませんか昭和区〜「郡道」 <「THE SHOWA委員会」>