名 所 ・ 旧 跡
 
油田遺跡全景
石碑説明文では真清田神社の祭神が当地に最初に降臨した
地とある。 油田の地名の由来は神社の灯明用の寄進地からと
ある
  七つ石遺跡全景
日本武尊が熱田から伊吹山に向かう途中に、この地で剣を研いだ
と言われる。 観光協会の説明文では古墳跡とも書かれているが、
移転したものであり、規模、雰囲気ともその面影は見られない
 
笠懸の松
日本武尊が伊吹山遠征の途中、休憩した場所と伝えられて
いる場所です


  「稲荷山古墳」
西側半分が削られているが、二段築成の方噴と推定される。
径40m、高さ6.6m、東方80mに陪塚
(ばいちょう)も認められる。
付近には弥生・古墳時代の元屋敷遺跡や飛鳥時代の伝法寺廃
寺が残る。(昭和42年3月2日一宮市指定文化財
 
市教育委員会設置案内文
 
浅野公園
戦国武将浅野長政の屋敷跡を生かしたまま整備された公園。
5月上旬のツツジ祭りを開催。 豊臣秀吉正室北の政所ねねの
歌碑がある
 
 
  重吉城址
本城は尾藤源内の居城と伝える。天正12年(1584)、小牧長久手
の合戦の時、徳川・織田方の小牧山の付城として清須と小牧を
結ぶ連絡確保の役割を担う。同年9月7日、家康は重吉に陣を
布き秀吉と対峙した。 (平成2年3月建立 一宮市観光協会石碑より)