神奈川県の鎌倉街道<京鎌倉往還>
足柄路と箱根路 
都を出た街道は、逢坂山を越え、近江の湖岸を東進し、不破の関に至る。 ここは、古代の機内と東国の境であった。 美濃は、揖斐川、長良川、
木曽川の三川が集まる地点であった。 最初の揖斐川(杭瀬川)の渡し場である赤坂宿(推定)では、赤染衛門や東関紀行に川の風景が
描写されている。 この後、街道は、豊川、大井川、天竜川、安部川、富士川の大河を渡るが、紀行文では、その途次の危険な様子が生々しく
書かれている。 更に、小夜の中山、宇津ノ谷峠という厳しい坂をあえぎながら歩く峠が待ち受けている。
しかし、京鎌倉を連絡する鎌倉街道は、最期になって足柄峠や箱根峠を通行する最大の難所が待ち受けている。 
下の略地図は静岡県と神奈川県にまたがる、古代から中世の街道の足柄路と鎌倉時代中頃から活発に利用された箱根路(西坂、湯坂路)
経路を落とし込んだ略地図である。
最短で連絡している箱根路は、標高が高く、かつ勾配がきついため、最初は遠回りであったが、足柄路が幹線道路であった。 箱根路の
難点は、現代になっても解決できない課題であり、東海道、東海道新幹線、東名高速道路が箱根を迂回していることを確認されれば理解できると
思う。
平安時代初期の延暦二十一年(802)5月、富士山の噴火により足柄峠越の足柄路が通行不能となったため「箱根路」が開かれた。 翌年5月には
「足柄旧路」に復しており、やはり当面は足柄路が主道であった。
12世紀末、鎌倉に幕府が開かれると、従来の都から地方への物や人の流れが、二元化し活発となった。 このため、時間の短縮化が求められ、
嶮しい箱根路の利用が大幅に増加した。 また源頼朝は、箱根神社、三島大社などの参拝に熱心であったので街道整備が進んだとされる。
この街道の利用の変化は、紀行文にも記録されており、味わい深い記録となっている。
 


 足柄路(静岡県小山町)
 
 
 
     
     
     
     
     
     
     
     
     


 足柄路(神奈川県南足柄市)
     
     
     
     
     
     
     
     
     



箱根路<西坂>及び<湯坂路>
箱根路西坂(三島市) 
 
平安・鎌倉古道について 
  扇平分岐に設置されている説明版(平成4年11月設置)及び三島市教育委員会が作成・配布されている「平安・鎌倉古道マップ」に
街道の歴史概要等が記載されているので、下記にご紹介したい。 また、街道遺構を歩いたのは、平成29年7月27日に東部の芦ノ湖
カントリークラブから下る行程の一日である。  ここでは紀行文の行程に合わせ、西の都から鎌倉に向かう行程で進めている。 箱根
西坂を下から進む形で説明を試みたが撮影方向等無理があるので、西(下)から探索するまで暫定措置として、逆の行程になっている
ことをご理解いただきますようにお願いします。。
復元された平安・鎌倉古道
平安時代、箱根越えの道は。現在の長泉町・裾野市・御殿場市をとおり足柄峠を越える足柄道でした。
 延暦二十一年(802年)正月、富士山の大噴火で足柄道がふさがり、そのため三島大社から元山中をとおり芦ノ湖の南岸に出て箱根町
へと抜けるこの「平安・鎌倉古道」が開かれた。 翌年、足柄道は復旧され再び官道として通行できたが、「平安・鎌倉古道」は険しいが距離
が短いなど便利なため多く利用されたようだ。
 鎌倉時代『十六夜日記』の作者(阿仏尼)は「二十八日に三島の国府を出発。 足柄越えは、遠道になるので箱根路をとおることにして、
山道にかかった」とこの道をとおったことが書いてある。
  江戸時代に箱根旧道(近世東海道)がつくられると、この道を利用する人はほとんどいなくなり、地元の人々が通るだけになった。
 (箱根関所以 外の通行は関所破りの重罪)このため忘れ去られた街道となっていた。
平成二年七月、ゴルフ場建設にあたり元山中の山ノ神神社南側を発掘したところ、中世の古銭や銅製品、陶器などが出土し、平安鎌倉
古道が確認された。 これを契機に三島市による古道の復旧及び道しるべ等の整備が行われている。
<三島市役所の資料によれば、入口から三嶋大社まで11.2㎞ 所要時間(下り)約4時間とある>
 この古道を歩きながら平安・鎌倉時代の旅を偲んでください。
                                       平成四年十一月 三島市教育委員会
                                                              *注 緑色の普通文字は作者の加筆 
     
平安鎌倉古道マップ <三島市教育委員会作成>
中にA3サイズの地図と見所が数か所紹介されている。 
平成30年12月、改訂版が発行された。 平安鎌倉古道は情報が
少なく貴重な資料である。 三島駅前にある観光案内所で入手する
ことができる。
  ***三島市総合観光案内所 電話055-971-5000 
  願成寺(がんじょうじ) <三島市川原ケ谷>
宗派は浄土宗で、源頼朝が三嶋大社に百日祈願(ひゃくにちきがん)
をしたときの宿舎となり、祈願成就(じょうじゅ)によって天主君山
(てんしゅくんざん)願成就寺(がんじょうじゅじ)の寺号を賜ったと
伝えられている。 開山は、口伝(くでん)に清安(せいあん)上人と
言われている。
出典:駿豆線沿線地域活性化協議会HP<いずっぱこでGO>
一番高い石柱に「古今伝授の寺」の銘がある。 意味が分からなか
った。 この上に本堂があり、お参り後、堂前に関係資料があり、
撮影し持ち帰り勉強した中で、願成寺メルマガが比較的簡潔にまと
められており、右に紹介したい。
  
     
 古今(こきん)伝授のまち・三島 <願成寺>
戦国時代、三島に陣を構えた武将に東常縁(とうのつねより)
がいる。 
武将であるとともに、歌人であり国文学者でもあった。 『古今和歌
集』を研究した奥義を「古今伝授」と称し秘伝として確立した人物で
ある。 文明3年(1471)正月、この常縁のもとに連歌師飯尾宗祇
(いいおそうぎ)が訪れ、初めてその「古今伝授」を授かったのである。
元日本大学教授藤岡武雄先生は、願成寺は三嶋大社歴代宮司
矢田部家の菩提寺であり墓所があること、また鎌倉古道に面して
いることなどを総合して、願成寺が最初の「古今伝授」がおこなわれ
た場所として認定された。<願成寺メルマガから引用>
(画像は、平成29年7月28日願成寺本堂前の展示物を撮影し、
見やすくするため一部トリミングしてあります)
   JR東海道本線を越える 
<三島市川原ケ谷・加茂川町>
箱根に向かう平安鎌倉古道は一段と小高い願成寺の下を
道なりに半周進むと、JR東海道を跨ぐ橋を進む。
 
橋を渡ると加茂川町バス停がある。
右折し道なりに進むと、今度は東海道新幹
線を跨ぐ跨線橋と信号機がある交差点があり、そのまま直進
すると旭ヶ丘団地
の中となる。  
     
小沢分岐点 <三島市川原ケ谷>
旭ヶ丘団地の中の道は、中学の正面に進み、やや左に道なりに
進むが基本的には直進に進む。 直ぐに掘割の伊豆縦貫道を
跨ぐ橋を越える。 やがて道の右手(東)にゴリラの像があるゴルフ
練習場がある。 三島市内からは写真の樹木の先・前方から、
こちらに進んで来ることになり、
ゴリラは木に隠れて見えないので
ご注意を。 練習場の道路側に古道入口の<小沢分岐点>がある。 
  茶臼山展望台 <三島市川原ケ谷>
街道探索を進むと農地が点在する場所に茶臼山展望台がある。
冬場で晴天であれば、冠雪の富士山が見えることもある。

(平成30年3月11日撮影)
     
山中関所跡 <三島市川原ケ谷>
茶臼山展望台を過ぎると、竹と雑木が混在する田舎風の道と
なる。 蛇行し、少し不安になるが、道なりに進むと見晴らしの
よい農地の中となる。 幹線に並行する農道の先に小さな林が
あり、根元に石碑があるのみである。 中世時代、大動脈の箱
根路の関所があったという。
  
   山神社(やまじんじゃ)<三島市上元山中>
案内図の先(上)にある山神社。 道沿いにあり、歩いていると
社前に着く。 中央の由緒によると山をつかさどる大山祇命
(おおやまずみのみこと)を祭神とし、山林農耕殖産に神徳があると
いう。 平成二年、ゴルフ場開発に際し、この神社南面を発掘
調査し、中世時代の古銭、銅製品、漆器等が出土したことから
忘れられていた「平安・鎌倉古道」が復元された。
 
     
諏訪神社 <三島市上元山中>
山神社から数分先にある諏訪社。 境内設置の由緒によると
大国主命の子である建御名方命
(たけみなかたみこと)を祀り、
「日本第一武神」の額を掲げ、崇敬されたという。
 諏訪社を過ぎると左に林間に入るコンクリートの階段と坂路の
道がある。 
  街道遺構 <三島市川原ケ谷>
笹竹が作るトンネルの中の街道。 短い区間であるが、笹が茂り
見通しが悪いので注意が必要である。 
     
扇平分岐点 <三島市川原ケ谷>
復元された推定平安・鎌倉古道の説明版と扇平入口。 簡易
トイレが設置されている。
  林道に並行し、街道遺構があり大きく切り開かれた街道遺構
入口があった。 また、林道交差点の看板の後ろに「Zコース」と
書かれた看板があった。  
     
街道遺構 <三島市佐野>
掘割状の遺構。少し崩れています。  尾根を選択しており、
比較的安定した街道遺構の場所も多い。
 
  二回目の林道交差箇所 <三島市佐野>
中央草の部分に黒い階段の手すりがみえる。 街道を掲載して
いるHPは十年以上前の内容であり、草がなく階段が見える等
現況と変化していた。
  現地で少し迷い、三島市教育委員会に
電話で教えてもらい、探索を続けることができた。 
     
案内版(指導標) <三島市佐野>
多くの案内版が設置されており、安心できる。 数が多いので、
通し番号や距離を足していただけると利便性が増すと思う。
 
  鎌倉古道入口 <高原別荘地内>
小さい案内版が道の左に設置されている。 見過ごしやすい
のでご注意を。 
この下に鉄塔があり、その横を通ることになる。 
<十六夜日記>
廿八日
伊豆の国府を出でて箱根路にかかる。 いまだ夜深かり
ければ、玉くしげ箱根の山を急げどもなほ明けがたき横雲
(よこぐも)の空足柄の山は道遠しとて、箱根路にかかるなりけり。
 ゆかしさよそなたの雲をそばだててよそになしつる
 足柄の山いと険しき山を下る。
*解説は右欄に掲載
 
  <解説>
中世日記紀行集(新日本古典文学大系51)
  28日、伊豆の国府を出て箱根路にさしかかる。まだ夜の暗い
頃なので 箱根の山を急いで越えて行くが、箱の蓋が開かない
ようにいつまでも明けない、横雲のたなびく空よ  足柄路は遠い
からというので、箱根路を通るのであった。
 見たいものだよ。そちらの方角の雲のそびえ立つにまかせて、
 疎遠に過ぎてしまった足柄の山よ。 非常に険しい山を下る。
 
     
芦ノ湖カントリークラブハウス前の案内板
<芦ノ湖カントリークラブ内>
進入道路の正面にある案内版。 古道入口からは、左から建物
の下に来て、一号線に向かうことになるが、中間の位置である。
中央の指導標の最下段に鎌倉古道の案内である。 
  芦ノ湖カントリークラブ&別荘地入口
<三島市字南原菅>

国道一号線箱根峠西にある箱根エコーパーキング横の進入道路。
鎌倉古道入口から30分ほど歩くことになる。 この間に江戸時代
東海道遺構の入口がある。 左に箱根峠バス停がある。 



 箱根路<湯坂路>(神奈川県箱根町)
 
     
     
     
     
     
     
     
 湯坂城趾